山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

ツイッターとは肥大した自画像では…。

「ツイッターは、自分で選べる世間だ!」って1月29日の日記に書いて、数日前には、それをツイッターにも載せた。

ざっくり、復習すると、ツイッターでは、読みたい相手を決めることを、「フォローする」という。Aさんの発言(つぶやき)を読みたい場合は、Aさんをフォローする。こうして、何人でも、好きな相手をフォローすることができる。

フォローする相手の発言が次々流れてくると、「あー今、これ、流行ってるんだ」とか「その映画見たいな」とかって感想を持つ。マスコミが流した(ものもあるけど)ものではなく、いわゆる生の情報が次々流れてくる。

だから、漠然と「あー今、世の中はこんな風になっているんだ」と考えるようになる。なので、それを自分で選んだ世間だ!…と言った。

さて。ここからが本題。

さっき、タイムライン(=いろんなひとの発言が、次々アップされていくところ)を見ていたら、「ツイッターだけみていると、日本映画の未来は明るいように思えてきた」という一文があった。しかし、続けて、「それは自分で選んだ世間だから、安心するのは早い」と結ばれていた。(文章の詳細はちがうけど、主旨はそんな感じ)

そう、そう、そうなんだよなあ。

ツイッターで流れてくる情報を見ていると、世の中がわかったような気持ちになってくる。…少なくとも自分は。

多くのひとが、観光地に出かけた写真をアップしているから、「連休」を実感する。渋滞についてつぶやくひともいるから、「相変わらず、渋滞しているんだな」と確認する。

が、しかし。

それらは、あくまで、自分が「選んだ」ひと(=フォローしているひと)からの情報であって、すでにそこに、バイアスがかかっている。なので、そこで、話題になっているからって、実世界でもそうではない。

(連休や渋滞は、まあ、事実ですが)

例えば、木曜日に、2本の連続ドラマが放送されている。「同窓会」と「素直になれなくて」。放送当日、自分のフォローしているひとで、「同窓会」について、触れているひとはほとんどいなかった。一方、「素直~」については、放送前、放送中、放送後も、このドラマについて、書き込んでいるひとが、結構いた。

これだけを情報源にしたら、あきらかに、「素直~」のほうが、流行っている…ことになる。そういう印象を持つ。

ところが。

翌日、視聴率を見ると、「同窓会」は、15.4%で、「素直~」は、10.8%だった。たくさんのひとが見ていたのは、「同窓会」だったのだ。

自分がフォローしているひとたちと、テレビドラマの視聴者層はずれている、とか、「素直~」は、ツイッターが出てくるドラマだから、ツイッター上で、話題になるのは当然だから、その分をさし引いて考えないといけない…など、いろいろ分析はできるけれど、それはすべて、あとの祭りだ。

テレビドラマの場合、視聴率というわかりやすい指標があるけれど、ほとんどの出来事には、そんな指標はない。だから、ツイッターで何度も話題になっていることが、世の中の重大ニュースかと、誤解してはいけないな、とちょっと思った。それは、自分の知りたい世界での動向に過ぎないってこと。

いえ、大した発見でも、なんでもなく、そんな風に思っただけです。

例えば、これから先、日本映画の制作環境はどうなっていくのか、監督の著作権問題はどうなるのか、などは、自分にとっては関心のあるテーマである。実際、フォローしているひとに、映画関係者が多いので、必然的にその話題が多くなる。そこだけ見ていると、日本中のひとが(…とまでは思わないにしろ)、たくさんのひとが、日本映画の未来について考えているような気になってくる。

けど。

それは、ごくごく一部のことなのだ。その間で話題になっている映画が、それでは、ヒットしているのかというとそうでもなかったりする。もちろん、メジャーな指標がほしくて、ツイッターをやっているわけじゃないので、それはそれでいいんだけど、「自分が選んだ世界」だから、実は、限りなく自分に似たもの、自己の反復になっているかもしれないってことに気づいたのだ。ふくらんだ自己…とでも呼ぼうかしら。

少なくとも自分は、「うー、このひとのつぶやき、いやだなあ」と思ったら、フォローしないもの。嫌いなひとをわざわざフォローするほど、暇じゃないし、心の余裕もない。

なので、ツイッターは、案外、肥大した自画像ではないか…と思った。あ、これ、否定的な意味ではないつもり。だって、フォローする相手の数って、限界があるもの。ある程度以上になると、読み切れないし。読み切る必要はなく、流れていくのをたまに見るだけでいいとも言うけど、そうだとしたら、そこから得るものってなんだろう。

(いや、必ずしも「得る」ものがないといけない…と言っているのではない)。

ツイッターは新しいメディアで、フラットでフローだ…とよく言われているので、そのようだと思いつつも、どうも、自我の拡大装置に思えなくないなーと思った次第。