山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

お金で買えないものについて。

昨晩、なかなか眠れず、おかげで、一日中、眠かった。

「20世紀少年」という漫画の1巻と2巻を読んで、イーサン・ケイニンという作家の「バートルシャーとセレレム」という短編小説を読んだ。この小説のなかに、数学の天才少年が出てくるのだけど、彼が解く問題が、具体的に書いてあった。

以下、そのまま、書き写すと…(達人!柴田元幸訳)

12枚あるコインのうち、1枚は贋金で、ほかの11枚のコインと重さが異なる。他のコインはすべて同じ重さである。天秤を三回だけ使って、どれが贋金かを決めよ。

いや~すっかり、はまってしまって。近くあったノートを開いて、いろんな方法を考えた。一番、戸惑ったのは天秤とはなにか?だ。天秤とは、二つの重さを比べる測りだということくらいはわかる。だが、この時、ふたつの重さの「差」も具体的に測ることができるのだろうか。○○グラムって差がでるのか?それとも、漠然と、どっちが重いか、同じ重さかだけがわかるのか…そんな初歩的なところで、つまずいてしまった。

天秤なんて、最後に見たの、いつだか、思い出せないし、そもそも、見たことあったのだろうか…って。

しかし、途中で、天秤とは、ふたつの重さを比べるだけの測りだろうと予想をたてて、問題解決に乗り出した。最初は、数式を書いたりした。12枚あるコインのうち、11枚は同じ重さだから、11×ng、贋金は、mgとして、数式書いて解こうとしたけど、途中で、どうもそうではないと気づいた。

けっこう、いい線まで行ったけど、最後のところで、立ち止まってしまった。

ところが。

当然かもしれないけど、小説のなかには、解答は書いてなかった。うー、なんだよ。しかし、ここからがネット社会のよいところで、「天秤、三回」と入力しただけで、この問題と解答を見つけることができた。途中まではしかも、正解していたのだ!

こう見えて、自分は、高校生までは理数系であった。一番好きな科目はなんといっても、「数学」だった。小学生のころから、算数や数学が一番好きで、次が「生物」だった。なのに、結局、文学部に通い、思いっきり、文化系の仕事をしている。が、底流には、数学好きの血が流れているので、物語のなかに出てきた問題は見過ごせないのだった。

そして、久しぶりに楽しかった。論理的思考というのか、そういうものが結構好きなんだよな。もしかして、文学、向いてなかったのかな…笑。

さらに今夜は、NHKの教育で再放送していたハーバード白熱教室というのを見た。これ、ツイッターで、一部話題になっていたので、見たかったのだ。

ハーバード大学のマイケル・サンドル教授の哲学の授業を延々撮したもの。これがまた、面白かった。論理的に考えるってこういうことだったなーとしみじみ。テーマは、ふたつあって、ひとつは、アメリカの軍隊について。

1)徴兵制にする
2)志願者に給料を支払って雇う
3)傭兵を雇う

これらのうち、どれがいいかを考えながら、「兵隊はお金で買うことができるのか」を考察していく。

もうひとつは、代理母の問題。卵子や精子の売買の話から、(実際に、ハーバード大学近くには、精子バンクがあるらしい)、「母性はお金で買うことができるのか」を考察していく。

このふたつの命題を通して、いのちはお金で買えるのか…って問題に落とし込んでいくのだ。面白かった-。大学の授業だから、教授の話とそれに答える学生の話以外はない。授業そのもの。でも、まったく退屈せずに、見ることができた。

そんなわけで、いろんな物事を冷静に論理的に考えていくのは楽しい。大学生がうらやましくなった。きちんと学べる場所へもう1度行きたくなった。

というわけで、客観的にはなんら生産的なことはしていないのだけど、サンドル教授の教室風にいえば、「市場の論理」からしたら、ゼロの一日でしたが、とてもエキサイティングだった。市場の論理に乗れないものがある…というのは、まったくだ。

市場の論理に毎日、翻弄されているけれども、まあ、それをあるときは楽しみつつ、あるときは味方につけつつ、心底、それにかぶれないようにして、生きてゆきたいものである。