山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

小説を書くのは大変か。

以前、友達のドキュメンタリー映画の監督が、「撮り損なった」時にこそ、自分の撮りたいものがわかる…と言っていた。

つまり、ドキュメンタリーの場合、ずっと撮影しているわけにいかないから、ある程度、予想をたてて撮影に挑む。で、だいたい、撮れたから、カメラしまおう…という時間が来る。

が、カメラ片付けたあと、ふいに、対象者(取材しているひと)が、いいセリフを言ったり、思わぬ行動に出たりすることがある。すると、「あー今、カメラまわしておけば良かった-」と悔やむことになる。

自分もこれまでに何度かそういう経験はある。たとえば、インタビューなどで、さんざん話を聞いて、じゃ、終わりってことで、カメラマンに、「終了」と告げて、そのあと、インタビューした相手と雑談したりする。すると、その時になって、相手が貴重な話をしたりするのだ。

まあ、そういう場合、カメラマンに「ごめん」って言って、もう一度インタビューすることもあるし、状況次第ではある。

しかし、「撮りそこなった、と思うことこそ、撮りたかったことなのだ」ってからくりには気づかなかった、これを気づかせてくれた友人はさすがだ。

で、話変わって…というか、ここまでが「枕」で、質問されて応えているうちに、自分の問題が初めて明るみにでるってこともあるのだなーとゆうこと。

さっき、ツイッターで、「脚本や小説を書くのは難しいですか?」という質問を受けた。いきなりな質問だなあと思いつつ、何気なく返事を書いた。

「脚本も小説も書くのは難しくないです。難しいのは、脚本なら、書き終わったあと、「直し」があること、小説なら、それが本になるかどうかのラインがあること、さらに「売れるかどうか」それらのほうが、「書く」ことより、ずっと難しいです。

だいたい、そんな風に応えたんですけど、そうだよなーとしみじみ思った次第。

脚本も小説も、「書く」だけだったら、ちーとも難しくない。いや、もちろん、少しでもよきもの、おもしろきものを書こうとする部分では、精進があるのだけど、それは、「難しい」とは言わない。だって、基本、「書きたくて書いている」わけだから、書くこと自体は、楽しいのだ。気持ちいいのだ。

で、なにが一番問題かって言えば、脚本なら、それがきちんと映像作品になるかってこと。プロデューサー、監督、俳優、みんなを納得させられるかってことだ。書くだけなら、簡単でしょ。問題は、その先だよ。

小説の場合も、好きで書いているだけなら、それでOKでしょ。問題は、それをちゃんと出版してくれるかどうか、さらに、本になったら、お客さんが買ってくれるかどうかだ。これらがホントに難しいのだ。

もちろん、小説も脚本も、ただ「書く」だけじゃなくて、その先まで、考えて書けってことになるのか。「直し」をくらわず、みんなに納得してもらえるように書く。

すぐに本になり、「売れる」ように書く。

ってことになってくると、ぐっと難易度が上がる。難しくなり、「じゃ、いいや」って言いたくなる。

そうなのだ、自分の思いだけでやっていけるなら、これほど、簡単なことはない。書くのなんて、タダだし。

問題はその先。

そして、この質問に答えることで、そうか、自分にとって、「問題はその先」だったのねーということに気づきました。

…というお話でした。

明日は、ミニさんの入院です。

明後日、手術です。

心配なので、病院の近くに泊まることにしました。

このブログを読んでくださる方で、超能力をお持ちの方、霊感をお持ちの方、自然治癒力を強化出来る方、どうか、どうか、ミニのために、「念」を飛ばしてください。

がんばれ、ミニ。助かる、ミニ! …と。

よろしくお願いします。