山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

歴史が教えてくえること

先日、お寿司やさんに行ったら、仙台出身のひとが来ていた。

見知らぬ方であったけど、都知事選の話からなんとなく、カウンター席にいた客同士で話すようになった。

その仙台出身のひとが、震災後、地元に戻ったという。そして、こんなことを言っていた。

「奥州街道はちっとも壊れていないんです。新しく作った道路はアスファルトが割れて、車が走れなくなっている。

でも、奥州街道は無事だった。ほかでも、昔の街道は無事だったそうです。昔のひとは、ちゃんとわかっていたんで

すかね」

そんなことを、冷酒を飲みながら、しみじみ話されていた。

ニュースでも、「この石より下に家を建てるべからず」という古い石碑より上は無事だったという話を聞いた。

こういう話を聞くと、先人の知恵というか、経験の蓄積というか、昔のひとはすごいなーと素朴に思う。特に、地形に関する経験値というのは、特別なものを感じる。

そこに道がある理由…。

道ってそもそもどういう経緯でできたのだろう…と想像すると面白い。

ひとや動物が暮らし始めたとき、住み処には自然と安全な場所を選ぶだろうし、道も安全な通路を選ぶのだろう。

時代が過ぎて、一見、どこも安全そうに見えるようになっても、目に見えない部分には相変わらず危険をはらんでいるのかもしれない。

自然災害に古い町は強いような気がする。歴史に洗われてきたというか。

しかし、もっと小さい部分でも、「しょっちゅう、店が変わる」場所とかある。駅からも近いし、悪い条件じゃないはずなのに、なぜか、店が流行らない場所とか…。

なにかあるのかなーと思ってしまう。

まあ、しかし、そのような呪術的な見方はよくないね。

それに歴史がすべてじゃないし。

そうじゃないと、伝統とか伝説に縛られてしまうもんね。

「女子供」はやっぱり、ひっこんでろ!とか言われるチャンスを与えてしまうからね。気をつけないと。

子供を産まない女は存在意義ゼロとか言われそうだし。

そこらへんは、昔のひとの言葉や勘を否定しておきたいです。

あ、古地図は面白い…ということを書く予定がちとずれました。

人生、ずれっぱなしだけれどもね。

さくらさいても、寒い夜です。