山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

映画「キッズ・オールライト」



今日は、パンフレットに解説を書かせてもらった、

映画「キッズ・オールライト」について書く。

もうすぐ(4月29日)公開みたいだからねー。

「キッズ・オールライト」はひとつの家族の物語である。西海岸に暮らす、比較的裕福な家庭。

だけど、この家庭は“普通じゃない”。

どう、普通じゃないかといえば、お母さんが二人いるのだ。お母さんが二人いるのだから、お父さんはいない。

子供は一男一女。(姉と弟)

しかし、この一家、お母さんがふたり…という非日常的設定なのに、まるで当たり前のように始まる。

お母さんが二人って以外は、ごくごく普通の、とてもいい感じの家庭なのだ。

姉のジョニは18歳。成績優秀で、大学に進学が決まっている。弟のレイザーは15歳。日本の中2病ではないが、ちょっと「揺れる年頃」だ。

しかし、姉弟は仲良しだし、両親ともうまくいっている。

「お母さんが二人」でなかったら、なんの問題もない……つまり、ドラマ…映画は始まらなかっただろう。

だけど、やっぱり、お母さんが二人なのだ。

弟のレイザーは、生物学上の父親に会いたがる。二人の母親はレズビアンであり、精子提供によって、自分たちが生まれたことを知っているのだ。

ここまでのくだりは、本当に、ごく普通に描かれる。映像的な驚かしや、過度な演出がない。とても自然、とてもなめらか。

なので、ゲイの二人が結婚して、子供が二人なんて、よくあることよねー、普通よねー…と思ってしまうくらい。

それくらい、「自然」に描くことに成功している。

監督は、自身もレズビアンであるところの、女性監督、リサ・チョロデンコ。

テレビドラマ「Lの世界」の監督でもある。

「Lの世界」のほうが、映像的というか、象徴的な映像が多かったように記憶する。ちょっと衝撃的なテーマを扱っています…というアレンジだったと思う。

ところが、こっちは、ホントにごく自然なのね。映像も芝居も音楽も舞台設定もことごとくナチュラル。

多分、これも監督の意図するところだと思う。つまり、レズビアンであることをことさら、過剰に描きたくなかったのだと思う。

ひとがひとを愛して、一緒に暮らしていきたいと思う…ことは、ゲイでもストレートでも同じだから。そのふたりが家族を持ちたいと考えることも、普通だから。

しかし、事件は起こる。姉弟は、生物学上の父親に会いに行く。父親の登場で、それまで平穏であったはずの家庭に亀裂が生まれる。

二人の母親、姉、弟、それぞれがそれぞれの方法で揺れ始める。その過程をまた、丁寧に描いている。しかも、おもしろおかしくね。

とてもよく練られた脚本なんだよなー。ぴりっとくるセリフも多いし、性描写も辛らつ。

楽しみつつも、いったい、この家族をどこへ連れて行くのだろうと、結末が読めなかった。

そして…。

私が予想したのとは違う結末を迎えた。

ふうん…そう来たのか。

パンフレットに解説を書いた時点では、その結末の意味するところがわからなかった。なので、そこには触れていない。

けど、今は少しわかったような気がする。

当たり前だけど、それはたぶん、監督の考える「理想」なのだ。あるいは、「希望」

こうあってほしい結末なのだと思った。

監督とはそういうものだ。自分の人生感が作品にでるからだ。

…ということで、どんな結末かは、劇場でご覧になって下さい。

そして、その結末をどう思うか、それぞれ、ご判断ください。

私が監督だったら、たぶん、ああいう風にはしなかった。

その理由のひとつは、自分がビアンではないからかもしれないけど…いや、ちがう…そうじゃないんだ。

ロマンチックイデオロギーに対する態度の違い…かもしれない…と言っておきます。

必見の作品です!

劇場に行ったら、パンフレットこうてね。私の解説、載ってますから…笑。