山田あかねの一喜一憂日記

テレビディレクターをやりながら、小説書いてます。映画も撮りました。脚本なども書いてます。 本、買って下さいね。

「ブス」という言葉の重み。

今日は、ブス会の「淑女」という芝居を見てきた。今回で第二回公演。

1回目から見ているけど、登場人物はみんな女性で、ワンスチュエーションである。(会場が狭いから、セットチェンジできないことを逆手にとっているのかもしれない)。

前回は、町外れのカラオケスナックで、今回は、掃除の派遣事務所。どちらも、この世の果て…というのは大げさだけど、ぱっとしない場所。

さえない女たちの集まる、吹きだまりのような場所。

そんな所にいるしかない女たちの日常が、暗くなりすぎず、笑いを多少ちりばめながら、リアルに描かれている。

しかし、この「ブス会」という劇団名というか、集団名はすごいよね。ブス会と銘打っているけど、毎回、かなり、キレイ目な女優さんが登場する。ちっともブスの集まりではない。

ということで、「ブス」という言葉について、少々考えて見たい。

ブスって、女のひとをひと言で殺すことのできる、強烈な言葉だと思う。

バカ!と言われるより、魔女!と言われるより、ババア!と言われるより、ブス!と言われる方が傷つく。

言われた相手を骨抜きにして、すぐには立ちあがれない状態に持って行く力がある。

仕事ができても、勉強ができても、心が優しくても、正義の味方でも、ブスだったら、ゼロ…みたいな部分が、女性にはあると思う。

いや、勝手な思い込みかもしれないけど、少なくとも、自分はそう感じて育った。ブスと言われないようにとせっせと努力してきたように思う。それくらい、ブスという言葉を怖がってきた。

が。

最近、流れが明らかに変わったよね。

例えば、松尾スズキさんは、舞台で、「ブス!ブス!」って女性に向かって言ったりするし、自分も映画のなかで、ブスキャラとして、安藤サクラちゃんに登場してもらったけど、前より、ブス!という言葉が使いやすくなったような気がする。

「ブス会」と名乗る演劇集団ができるほどに。

そこには、男性が忌み嫌う、外見の美しくない、救いようのない女って意味ではなく、「見た目は、グラビアアイドルみたいじゃないけど、そこになんの問題があるのさ…わっはっっは」と笑い飛ばせるような、明るさと軽さと強さが入り混んでいるような気がする。

そうだ、ブス!っていうのは、男たちが、女の息の根を止めるために使っていた言葉だったんだけど、もちろん、女性同士でも、その効果を知って、使っていた部分もあると思うけど、女子が強くなり、男子の目線ばかり気にしなくても生きていけるようになるにつけ、「ブスだけど、なんか問題アル?」って堂々としていられるようになった気がする。

いいことじゃのう。

だから、正面切って、ブス会って名乗れるんだよね。

今日の舞台も男性がたくさん、見に来ていたし。

こうして、かつてブスという言葉が持っていた暗い側面は、漂白された。言葉の持つ重みが変わったんだ。

言葉も時代によって、その意味を変えていくなー。

まさにその変化に立ち会ったような気がする。

自分もブスという言葉を気軽に使えるようになりました。

それは女性が長らく、外見だけで判断されていた(今でも充分そうだけど)歴史から、少しだけ自由になった証なのだとも言える。

大きな声で明るく言える。

ブスで結構!