山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

傷つくことばかり上手になって。

昨日は、話題の映画「ヘブンズ・ストーリー」をユーロスペースで見ました。

仕事が忙しくなる前に見ておきたかったので。

順番でいくと、「まほろ駅前多田便利軒」の感想のはずだけど、「マイバックページ」を先に書いたりして、混乱してるし、映画の感想ばかり書くことにちょっと疲れたので、今日は、別に、だらだらと。

今は朝の8時で、このところ、超朝型です。

自分史上まれな、時差ボケによる、早起きが続いている。

早く起きても何していいかわからないから…とりあえず、パソコンの前にいる…って、結局、朝型でも真夜中型でも変わらないんじゃないか、自分。

10日ばかりロケに出ていて、ドキュメンタリーの場合、ひたすら撮るので、だんだん、体に言葉がたまってきて、言いたいことが増えて、一気にツイッターに書いてたら、なんだか、いろんな反応があった。

「女の自殺者が男より少ないわけ」について、女のほうが、幼いころから誇りを傷つけられるのが多いので、結果、自殺者が少ない…と書いたら、賛同してくれるひとも多かったけど、ひなんも多かったようだ。

ツイッターのまとめはすでに、2万近いVIEWがあり、コメントもいっぱいらしい。

らしいというのは、コメントを読んでないからで、なぜなら、ずいぶん、ひどいことが書かれているらしく、なぜ、読んでないのにそれを知っているかといえば、心優しいひとたちが、読みにいってくれて、やさしく報告してくれるからだった。

ありがたいね。

だいたい反論は予想がつくので、わざわざ、イヤな言葉を読むためにいく気がしないし、いちいち反論する気もないし。

ざっくりとした感触でとらえてほしくて書いていることの重箱の隅をつつかれたりしてもなんだか。

こんなこと書くと、「その態度は表現者としてどうだ」みたいなことを言うひともいて、そもそも、表現者ってなんだろうって思う。

私は表現者なのか?

たぶん、なんらかの作品を発表することによって、金銭を得ているひとを、表現者と呼びたいのかもしれない。

とすると、ひとつの作品も売れずに、でも、一方で、ずっとなにかを作り続けるひと…絵でも小説でも詩でも…そのひとは、表現者じゃないのだろうか。

いや、そのひとも表現者だと私は思う。

ではそうだとして、たぶん、次の批判は、表現者は自分の発言に責任を持て…ってことだと思う。

わかる、それはわかる。

けど、自分の発言に責任を持つこと…が同時に、自分の書いたものに対するすべての言動に目を通せってことにはならないだろう。批判を聞かない自由もあるはず。

…ってだけなんですが。

また、さらに、批判を聞かないと、成長できないよ…みたない言い方もされそうだけど、成長よりも喪失のほうが大きい場合もあるから。

すごく単純に自分は表現者である前に、かよわき人間なので、不愉快になったり、イヤな気持ちになるのがイヤなのだった。落ち込むから。

そんな気の弱い者は書くな、去れ、と言われたら、そうなの?と思う。それはちがうよね。

…ということで、最近のツイッター騒動への感想でした。

ツイッターはいい面がいっぱいあって、好きなんだけど、時より、ものすごく、心の狭いひとに出会うこともあって、そういうときはひたすら驚きます。

でも、なんか、つらいことあったんだよね、そのひとも…と思うことにして、川が流れるように、それが去るのを待っています。

…なんだか、言い訳めく内容になってしまいました。

朝なのに…。

これから、仕事です。