今更ですが、「ミレニアム」を読んでおります。
すでにハリウッド版もスウェーデン版も映画を見てしまっているので、ストーリーも犯人もわかっているというのに、読み出したらはまってしまう作品です。
さすが、世界的ベストセラー。
映画を見て原作を読みたかった部分もありますが、正直、世界的ベストセラーになる理由を知りたかったというのもあります。
最近の日本のミステリー分野では、犯人捜しやトリックではなく、最初から犯人がわかっていてその理由を延々説明するタイプのほうが受ける……とその分野のプロから聞いたのですが、そういう意味でいうと、「ミレニアム」は伝統的なミステリーかも。
ミステリーの世界にあまり精通していないので、適当なこと書くと、「それは本格ミステリーじゃない」とかいろいろつっこまれそうなので、ミステリー界における立ち位置についてはあまり触れないことにしよう。
それにそういう種分けにあまり興味ないしね。
ミレニアムは聖書からの引用とかナチの残党とか、いろいろ出てくるので、キリスト教と戦争という、ヨーロッパ的な大テーマを踏襲しているようでいて、実はそれは結構、意匠にすぎない気がする。
犯人が初めは聖書になぞられて犯罪を犯したけれども、時がたち、引き継がれるうちに、「聖書」的なるものは単なる強引な結びつけに過ぎなくなり、犯罪だけが合理的に行われていくように、この小説も初めは、聖書的なもの、ナチ的なものの印象を強めていたのに、秘密が解けるにしたがって、それはひとつのかたちに過ぎないとわかってくるように。
そして、もう一方のテーマは、いわゆる、ウーマン・ヘイティングですね。女嫌い。
女を憎んでいる男たちによる犯罪で、聖書やナチズムはその衣を借りているようにも思える。
一番意外だったのは、舞台がスウェーデンだってこと。
だってあの、スウェーデンですよ。
この広い世界で、かなり女性が自由に生きることのできる国ではありませんか。
それは、私が勝手に思いこんでいるだけでなく、2000年に取材に行ったときに、法的にも世論的にも、女性に対しての平等っぷりはかなり成し遂げられていると知りましたから。
が、そんな国にこういう犯罪が…言ってみれば、女なんて殺してなんぼ…という犯罪が……フィクションとはいえ、存在するとは。
フィクションといっても、全くあり得ないなら成立しなかっただろうし。
主人公のミカエルは、離婚しているけど、既婚者の女性とその夫公認の愛人関係にあり、しかも共同経営者だったり、調査対象者とすぐ肉体関係もってしまったりと、日本の倫理観だとなかなかゆるされないようなキャラクター設定だし、ここらへんは、すごくスウェーデンぽい。
日本なら大スキャンダルになるようなことも、わりと日常としてスルーできる世界。
大人の、あるいは、成熟した関係の世界、とも言えるわけです。
でも、一方で、スウェーデンでは、女性の18%が男に脅迫された経験を持つ…って言葉で小説が始まるように、目に見えている平等感と現実はちがうのかもしれない。
ま、そんなことは実は頭のなかからふっとんで、物語の面白さにはまっていくのですがね。
このような濃い内容の物語を読んでいると、ほんと救われるわけです。内容は救われない話でもあるけど、人間の残酷さ、弱さ、汚さ、絶望的な欲望について読んでいると、本から顔を上げて、日常に戻ったとき、
あ、とりあえず、まだ、自分は生きてる。殺されていない。
それだけでもずいぶん、ラッキーなんじゃないかって思えてくるんですよね。
ミレニアム1のラストのほうで、ミカエルが殺されかけるシーンを思って、こんな目にあったら、当分立ちあがれないだろうに。強いトラウマになるだろうに。などと考えると、まだ、閉じ込められて、拷問されていない自分がなにを恐れるのは甘っちょろい話だと思えてくるのです。
あ、ヘンな方向に話言ってるかな。
先日の大人計画の「ふくすけ」にしても同じなんだなー。恐ろしい世界を描くことで人がそれに癒されるというへんな現象はあるのだ。
というわけで、このままミレニアムを読み続けることにします。
スウェーデン大好きな国なんだけどなー。また、ゆきたいし。