山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

岩井秀人トークラジオ

昨晩は、六本木の果てにある「新世界」で劇団ハイバイの演出家である岩井秀人氏のトークラジオを見てきました。

自作を語る…ということくらいしか事前情報を持たなかったのですが、主に、前作「霊感少女ヒドミ」の種あかしでした。

種あかし…という言葉が的確かどうか迷うところですが、ちょっと変わった舞台であった「ヒドミ」がどのようにして発想され、俳優陣にはどのように演出したかを非常に具体的に話すので、種あかしというのが、似合うと思いました。

普通、なかなか、創作するひとは、自分の作ったものがどこから来たかをあそこまで赤裸々に、いや、正直に語らないものじゃないか…と思いましたが、そこが岩井秀人さんの魅力でありましょう。

ネタ元を楽しそうに愛しそうに語る姿は、逆に大物感がありました。

「霊感少女ヒドミ」は、映像と舞台が奇妙にマッチングした、不思議な舞台でしたので、舞台というより、インスタレーション…なんつうか、舞台の上で繰り広げられる人間と映像とそのほかのなにかの融合みたいな作品だったので、その出自がわかったことは興味深かったです。

どのような構造になっているかというと、霊感のあるヒドミという女性が暮らす部屋に、霊2名…霊の場合、どう数えるのかわかりませんが…、男の霊ふたりが住み着いていまして、この霊とヒドミとヒドミの彼氏が繰り広げるやりとりのなかに、霊の夢?ヒドミの夢?などがぐるぐるにからみあって、ストーリーはかなり破滅的なんですね。

ストーリーラインを追おうとすると混乱するし、わからなくなる。それより、ワンシーンワンシーンを楽しめばいいじゃないか、という感じを受けました。

で、実際にそのことに作者も自覚的で、主人公が成長しなくてもアリじゃないか、という問いかけもあって、そうかもしれないなーと思いました。

「主人公が成長する…」というのは、テレビ、映画などのシナリオ・構成段階で、非常につよく要求されるものであります。

ドラマに限ったことでなく、ドキュメンタリーでも教養番組でも、「これじゃあ、前に説明したことから進んでない」と言われたら、そこは、「直し」の意味なんですね。

とにかく、30分とか1時間の間に、番組や映画は「進まないといけない」んです。

見ているひとを移動させないといけない。そして、ラストシーンでは最初に見た時に感じたところから別の場所に運んで行ってあげないといけないわけです。これはエンタメ系の小説でも同じで、最初のシーンで殺人事件が起こったら、ラストには犯人がわらかないといけない。なんで事件が起こったか読んだ人が理解できないといけない。

最後まで犯人がわからずじまいだと、「つまらん」とされてしまうわけです。

なので、一般的なエンタメワールドでは、最後にはなにかがわかったような気になる、「オチ」がつくものがメインです。

前衛的な小説などでは、(時々芥川賞の候補になるような作品)では、犯人がわからないどころか、ますますわからなくなるだけで、読者を放置するようなものもありますが、ほんの一部であります。

ですが、このような定番にある種の「飽き」を感じることは確かです。岩井さんも言っていたように、現実はそうそう成長しないし、変わらないのではないか…。実は自分もそう思います。

が、しかし。

多くのエンタメを楽しむひとたちはこの「成長した感」「見終わった達成感」「まるで自分が成長したかのように感じることのできる二時間の旅」みたいなものを見に来るんじゃないかと思ったりもします。

しかし、一方でこのような王道の構成はすでに王道すぎてなにも伝えることができなくなっているんじゃないかと思いもします。

さきほど、1960年の映画「アパートの鍵貸します」を見ていました。ビリーワイルダーによる、よくできた作品です。

脚本がすばらしく練られており、どのセリフ、どの小道具、どのキャラもそれぞれが物語を引っ張っていくように実にうまく計算されています。ラストまで見ると、「あっぱれ!」と思います。

が。

すでに自分のように多くの物語に触れすぎた身にとって、この映画を見て思う「あっぱれ」は、よくできた脚本だなー、小道具の使い方うまいなー、キャラ設定から小さなエピソードまでよくできているなーという、物語の構造にたいする感動であって、物語そのものが連れてくるなにかに感動することではないんですね。

脚本の出来に感動している。

それでいいのかな?

自分としてはもっと、「わーこんなことってあるんだー」「ひとってすごいなー」「心をわしづかみにされたわ」的な感動にもっていかれたい。

やっぱり、見たことものないものを見たいのでした。

…それにしても、先日みた「ブス会」といい、今回といい、舞台を上映して、作り手が語るという手法が最近増えて来ましたね。手軽にpcによって、映像が再生できるからだと思います。

新しい演劇の楽しみ方といいましょうか。舞台をその場で演出家が解説してくれるので、とても贅沢なものだと思いました。