山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

映画「007 SKY FALL」

公開されてだいぶたっているので、ネタばれあってもいいと思って「007 SKY FALL」の感想です。

監督は「アメリカン・ビューティ」のサム・メンデス。これまで撮ってきた作品を考えると、どうして、「007」なんか…という気持ちもありました。

この「なんか」には複雑なものがありますが、007といえば、王道スパイもの、エンタメの王者みたいな映画で、アクションあり、セクシー美女ありの、ある種のファンタジーというか、その分野では白眉であり、よく練られた脚本に支えられ、見る人を夢中にさせ、怖がらせ、楽しませ、泣かせ、喜ばせるといった作品だったと思います。

一方、サムメンデスは「アメリカン・ビューティ」を見たらわかるように、人間のもつ心のひだに深く分け入っていくような、シリアスで苦みのある作品を撮る監督。

なんだか全然共通点がないような気がする。

でも、そこがハリウッドのふところの深さというか、007シリーズのプロデューサーたちの慧眼というか、同じところに留まっていないんですね。

で、本作。

これはもう、メタスパイ映画ですよね。あるいは、メタ007。

主演のダニエル・クレーグが、ジェームス・ボンドをやるようになってから、そういう傾向があるのかもしれませんが、すみません、前作見てないんで、いつからそうなったのかわかりませんが、少なくともSKY FALLは、もう、スパイという、それまで、エンタメ世界で描かれてきた、「かっこよくて、ケンカに強くて、いろんな武器を使いこなして、美女にもてて、国家に対する忠誠心あつくて、敵に容赦ない」というキャラクターにいちいち、ひっかかっていきます。

今作でも、相変わらず、けんかは強くて、最新の武器を使いこなし、走る電車の上で闘ったりしますから、そこらへんの「お約束」ははずしていない。

けど、一番大きいのは、メンタルの描き方でしょう。

まず、スパイも年をとる。スパイも属する組織のなかで上司との関係に悩むし、左遷もある。そこらへんの葛藤をはずさず、ていねいに描く。

武器を調達してくるのも、ニキビ面の青年だし、でも、彼はPCの使い手である。

こういうのって、普通のサラリーマンが直面することと似ている。

つまり、スパイも組織の人間に過ぎない部分を(決してスーパーマンじゃない)ってことを描く。

さらに、女性の描き方がさすが、サム。(もう、友達みたいにサムって呼んじゃう)

最初にトルコで働く同僚は、年下のアフリカ系(というか、黒人系)女性。スパイは男だけとは限らないし、金髪碧眼とも限らない。

彼女はセクシーで魅力的だけど、仕事をもった一人前の女性。

セクシーだけが「売り」じゃありません。

次に登場するのが、上海で出会い、マカオで再会する、お約束のセクシー美女。悪の手先であり、事件の鍵を握る謎の女性…。しかし、彼女もまた、これまでの「謎の美女」ではない。

サムが描くジェームス・ボンドは彼女の出自を見抜く。

12歳か13歳で売春婦として売られてきた…、強気に見せても不幸せがにじんでいる…など、「セクシー」であることを売りにしている女性の「闇」に斬り込んでいく。

「謎のセクシー美女」なんて、幻想なんだよ。

色香を売って生きることのつらさをちゃんと描き、それがその女性の精神をゆがませるところまで、女優の細かい演技で見せてくれる。もしかしたら、これまで描かれてきた「謎のセクシー美女」たちもみんな、実は内面に闇を抱えてきた、さみしくて、つらい女たちだったんじゃないかって思わせてくれる。

そして、物語が進むうちに、彼女は自分本来の顔を取り戻していくように見える。自分の体を売ることでしか生きてこれなかった、か弱さが前面に出てくる。それは登場したときに見せていた「セクシーさ」とはほど遠い。そこには、傷ついたひとりの人間がいるのだ。

そして、さらに。

三番目に登場する女性は、ジェームスボンドの雇い主、M。前の作品でも登場していたそうだけど、上司は女性で、セクシーでも美女でもない(失礼)。けど、当然だよね。世界は美女だけでできているわけじゃないから。

そして、「敵」の設定。今の時代、仮想敵になるとしたら、中東とかイスラム教徒を想定しやすけど、そうしない。あえて、敵は内部にあり…という描き方をしている。

もちろん、仮想敵をイスラム教徒にするのは、あまりに危険すぎるからかもしれないけど、それよりも、敵を元・スパイ(元仲間)とすることで、「いったい、スパイ活動とはなんだったのか?」って問いかけになっているのだ。

そして描かれる、ジェームスボンドの出自。

さみしい、さみしい、スコットランドの田舎にぽつんとたつ、古びた洋館。そこで生まれ、子供の頃に両親を亡くしたジェームズ。

係累のいないほうがスパイに向く…ということが明かされる。

スパイとはそういう職業なのだってことを示唆する。

いちいち、リアル。

アクションは大仕掛けだけど、それをのぞくと、スパイを生業とする男の痛ましさが敵であるシルヴァも含めて、いたいほど描かれている。

これをみて、スパイに憧れる子供がいるだろうか。

ひとつだけ疑問だったのは、007がすぐに女性と関係を持ってしまうところ。そこらへんは、シリーズのなかでもお約束らしいけど、「なんで?」って思ってた。

だって、そんな命がけの仕事の最中に、よく知らないひととセックスなんてしてて大丈夫なのか、って。

すると、友人の男性からこんな答えが。

明日をも知らぬ命だから、すぐ寝ちゃうんでしょう…と。

戦地に慰安婦を連れて行く軍隊があるように、軍隊のある場所には必ず娼婦がいるように、明日をも知らぬ命だからこそ、生きてる実感がほしくて、性に走るそうだ。

そうか、それには納得した。

私は映画的お楽しみ、観客(男性の)向けのサービスなのかと思ってました。

でも、ミスリードでした。

SKY FALLでも、ジェームスボンド氏は各所でいたしていたし。

それは、単なる女好きじゃなくて(それもあるだろーが)、明日をも知らぬ命ゆえ、生の実感がほしくて、目の前の女性に手を差し伸べたのだ。

そう思うと、ちょっとじんとくる。

おやりなさい、おやりなさい、という気持ちになってくる。

いろんな意味でとても深い映画だった。

最初に聞いた時、「なに、このムード歌謡!」と思ったけど、耳から離れず、アデルの歌う「「SKY FALL」も購入しました。

ダニエル・クレーグいいなあー。ちっともハンサムじゃないところが。ちっともセクシーじゃないところが。

そういう「普通の人」感がリアルだし、悲しい。

余談ですが、ジェームスボンドの故郷、スコットランドの田舎は、以前、ミニ(愛犬)の魂に出会うために訪れた、スコットランドのツイードマスに似ていて、お屋敷まで似てました。世界的に有名なスパイと、愛らしいゴールデンレトリーバーの出自が同じとは!

似てるところはあるんです。

あつい忠誠心。執拗に敵を追う。必ず、もどってくる。

女性のスカートにすぐハナを突っ込むところも似てます…笑。

次回は、「ライフ・オブ・パイ」について、書きます。

これ、中島敦の「山月記」ではないか…ということをずっと考えてます。