山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

気持ちが入ってなければいいじゃないか。

アイドルの女性が、恋愛禁止を破ったことを反省して、頭を丸刈りにした。

ずいぶんと騒がれていて、謝罪として丸刈りにするのは日本の伝統としてよしとする意見もあれば、「人権侵害ではないか」と異議申し立てをする人もいれば、よくやった、とかファンは許すとかいろいろだった。

特に思い入れもなく、いろんな意見が流れていくのをツイッターやWEBのニュースなどで見ていた。

ただ、漠然と感じたことは、恋愛禁止のルールもそれを破って見せるのも、丸刈りにして謝るのも、結局のところすべては、ひとつの「芸」のなかに収まっている…ように思える。

なので、「芸」としてはどんな風がよかったか…という視点で考えてみた。

私がゴーストライターだったら、このような筋書きを考える。

丸刈りになってみせるより、

「恋愛禁止のルールは破ってません。だって、恋愛してませんもの。あれはただのセックスでした。一晩泊まって、やっただけです。大丈夫、気持ちは入れてません!」

というのがいいなと思いました。

永井荷風先生の書いた「墨東忌憚」には、遊女の恋愛が出てくる。

遊女は身をひさぐことが仕事だから、愛をかわした男がいたとしても、別の男とも寝なくてはいけない。

だから、約束をするのだ。例え、別の男と寝たとしても気持ちはあなたのところにあります…って。

これでどうでしょうか。

「あれはただのセックスでした。相手の男に気持ちなどみじんもありません。心はいつもファンのみんなと一緒です。いくときもみんなのことを考えたよ、だから、心配しないで!」

こうだったら、かっこいいのになーって思いました。

ダメですか。乗り越えられませんか。

もちろん、相手の男性がかわいそうでありますが、自分と一晩過ごしたことを、丸刈りにされて謝られるのだって、充分、男としてはつらかろう。それよりは、一夜の過ちでした…ってほうがよくありませんか。

そんなことを考えてました。