山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

わたしの理想と現実。

大好きな監督、ウエス・アンダーソンの作品に「ダージリン急行」がある。

父の死をきっかけに、仲違いしてしまった3人兄弟が、失踪した母親がヒマラヤで尼僧になっていると知り、三人で会いにいく物語である。

三人はインドを走る「ダージリン急行」に乗り込む。

インドという見知らぬ地を走る長距離列車。しかも、生き方も好みもなにもかもちがい、お互い理解しあえない、仲の悪い兄弟である。

道中はケンカばかり、ケンカしすぎて、列車から降ろされてしまう。

しかし、そのまま旅を続け、苦難の末、なんとか、母がいるらしい寺院にたどり着く。

母はすでにその地にはいなかったが、混乱した道中によって、三人兄弟の間にあった、わだかまりが溶け、あらたな絆が生まれていた…という誠にハートフルな結末である。

三人が仲良くなることが母の目的であったのだ。

もちろん、ウエス・アンダーソンであるから、単なるお涙頂戴の感動モノではなく、苦いユーモアに貫かれた、とても上質の作品に仕上がっている。

かなり好きな作品だ。

実は自分は三人姉妹である。似たような状態だ。だから、どこかで「ダージリン急行」のようなことが起こらないかと想像したことがある。

けれども、現実は映画よりずっと厳しい。

ダージリン急行に乗る機会もないし、ヒマラヤで尼僧になる母親もいない。

考えて見たら、自分が映画や小説が好きなのは、ある種の理想を見せてくれるからかもしれない。

ジョン・アービングも言ってた。

「こうあってほしい世界を描くのが小説だ」と。

そうなんだよね。自分はどこかでいつも理想を夢見ている。

父の死後、母を迎え、6年間一緒に暮らした。

趣味も性格も人生に対する態度もなにひとつ重なるところのなかった人であったが、理想をおいかける自分は、「子供を育てなかったかわりに、母の面倒を見る」と考え、できる限りのことをしてきたつもりだった。

果たしてその気持ちは母に届いていたか。

母はヒマラヤの尼僧になることもなく、数日前に旅立った。

私はダージリン急行に乗ることもなく、現実は映画とちがって、相変わらず厳しいままだ。

それでも。

それでもやっぱり、自分は、こうあってほしい世界を思って、映画を作りたいし、テレビを作りたいし、小説を書きたい。

♪ 月に手を伸ばせ、たとえ、届かなくても ♪

斉藤和義さんも歌ってるもんね。