
遺骨もなにもここにはないけれど、要は気持ちであろうと考え、写真をプリントアウトして、いただいた花々で飾ってみた。
昨晩茹でた栗と明日、アップルパイになる予定の紅玉を供える。
特に宗教もないので、決まりもないし、母の友人たちで葬儀に参列できなかった方々にもここで参っていただけるし、よかれと思い。
花をふつうに飾っておこうとすると、犬どもが気にして仕方ないし。

母とは6年ほど、一緒に暮らした。一緒といっても同じマンションの別の部屋であるけれども、毎日13時になるとお昼ご飯を食べにうちにやってきた。
この6年の間に、私は6冊の本を書き、1本の映画を撮り、その間にも10本近くのテレビ番組を作った。
結構よく働いた。
高齢の親を引き取ると、仕事の邪魔になりそうなものである。
が、私の場合は逆であった。母がやってきたことで結果的に仕事がはかどったのである。
孟母三遷のように、母は、娘(孟子は息子だけど)によかれと引っ越ししてきたわけではない。
むしろ逆で、娘の仕事などお構いなしであった。
ところが、案外それがよかったのである。
毎日、13時になると母がお昼を食べにやってくるので、こちらもつられて起きることになる。
私はロケや打ち合わせがなければ、いつまででも寝ているし、食事もまったく不規則だった。
そこへ母がやってきて、適当に料理を始める。一緒に作ることもあれば、私が用意することもあった。
とにかく、お昼前後になにか食べることが習慣になった。
さらに、食事が終わると母は決して自分の部屋に帰らず、うちのリビングでテレビを見るか、電話をするのである。
それまでの私の習慣は、食後は紅茶を飲みながら、ゆっくり新聞か本を読んでいたのだが、テレビがうるさくて、集中できない。
結果、私は早々に自分の部屋(書斎)に引き上げる。すると、PCの前に座ることになるから、ついつい仕事してしまうのであった。
さらに夜。
夕食に関しても不規則であり、やっていることが面白かったり、やめられないと、何も食べずに深夜を迎える…というのがザラであった。
料理も好きだけど、ひとりの時は殆ど作らず、パンなどをかじる程度であった。
これもまた、変わったのだ。
19時くらいになると、「夕食はどうなるのか」としつこく聞かれ、こちらの反応が鈍いとまた、自分で勝手に作り出す。或いは、促されて、私が作る…ことになった。
このようにして、夕食もだいたい19時前後に食べる…というそれまでなかった習慣が生まれたのであった。
これによって何が変わったか?
まず、太った…!
だいたい、毎日昼も夜も食べる…習慣がなかったのに、しっかり食べるようになってしまったのだ。
一方で、食事によって生活にメリハリがつき、よく働いたのであった。
今夏のように、HULUで「LOST」40話分一気見、みたいなことができなくなったし(何しろ、昼間はテレビを占領されているので)、居場所がなくなり、書斎で集中することが多くなったのであった。
そういうわけで、老いた親、しかも、「東京タワー」に出てくるお母さんみたいに、息子のために身を削るような母親じゃなくても、案外、大丈夫なのであった。
そんなことを思い出しながら、花をたむけた。
そろそろ、働くか…。