山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

傷だらけの過去?

吉田修一氏の「パレード」という小説を読んだ。
これは、5人の若い男女がマンションの一部屋で共同生活するお話である。5章に別れていて、それぞれが5人の一人称で語られて行く。

最初の章が平凡な大学生の男子で、次がなにもしないで恋人からの連絡だけを待っている女性で、次が雑貨店だかに勤めながらイラスト書いている女性で、つぎがゲイでウリセンをやっている少年で、最後が映画の配給会社に勤めている、健康オタクの会社員である。

でもって、基本的に主人公の「闇」の部分が語られていく構造になっているんだけど、章を経るごとにそれぞれが抱えている闇が客観的には深くなっていく。ここがポイント。客観的、ってところが。

ひとは誰でも自分のなかに、「闇」の部分というか、「マイナス」の部分を持っている。それは、客観的にはどうってことなくても、自分の闇である以上、それぞれにとって、「重い」はず。だけど、この小説の進み方は、客観的に善良な人間の順に登場することになっていて、最後のひとがいちばん、罪が重いというしかけである。

なるほど、そういう仕掛けだったか、と思った。その闇の深さの比較はわりと常識的であるけど。

関係ないけど、(あるか)、ひとの心の闇や不幸だったり、傷付いたことを書きたがる人と、幸せだったり、うまくいった経験を書きたがるひとがいるように思う、おおざっぱにいって。

でもって、パレードは、ひとのなかの悪い部分を書いた小説。私もどちらかというと、幸せだった記憶より、傷付いた記憶を書きたがるほうです。なぜかしら。

けれども、今、やっているのは、どちらともいえないなあ。幸せだったかもしれない過去と、じゃあ、今を往復するような感じかな。すでにあらすじができていて、それを長編かしているんだけど、あらすじを読むたびに、自分で書いたくせに、毎回泣いています。なにやってんだか。おめでたい、わたしです。

今日はテレビのロケだったので、早起きのため、すっごく眠くてしどろもどろ。眠ることにします。