ロンドン19日目。
昨日の夕食は、パディントン駅の構内にある、回転寿しを食べた。
日本にいても、回転寿しにあまり行かないくせに、ちょっと見かけたら、行きたくなった。
和食が恋しい…みたいなことじゃなくて、なんか、宇宙食っぽく見えておもしろそうだったから。
構内にある回転寿しやはこんな感じ。
カプセルみたいなものに入っているのに惹かれたのだ。子供か、自分。
すごい早さで廻っているので、写真にもなかなか映らない。ビュンビュン廻っている。
というのは、嘘で、自分の撮影技術のつたなさ、ゆえであった。
で、最初にとったのは、この2個。
牛肉のたたきサラダ的なものと、なんだかわからないもの巻き。
巻物の中心には、魚の皮を揚げたようなものが挟まっていた。不思議な味である。
美味しくはない。でも、面白いからいいやと思って食べている。
牛肉のたたきは、コリアンダーが添えてあってなかなか美味しかった。
次に選んだのはコレ。
前回、失敗したので、味の予想がつくものを選んだ。
このあたりが、我ながら保守的である。もっと冒険してもいいのに。
中心の具はカニかまで、サーモンの刺身の帽子をかぶっている。見たままの味であった。
次はそれでも冒険した。なんだかわからないものをとった。
そして、失敗であった。センターは、ゆで豚風のもので、上にかかっているのはウスターソースであった。
ううむ。といいつつ、5皿も食べた。
上記で紹介したもののほかに、揚げ茄子みたいなものを食べた。
これで、19ポンドくらいだった。つまり、2280円くらい。
思ったより高かった。駅の構内でわさわさしたなかだったので、ファーストフードのようなものだと考えていたけど、2000円突破は高くないか。寿司なら普通か。
まあ、もとより、値段は気にしていなかったのでいいんだけど。
そんなわけで、寿司体験。ロシアでも寿司はたいへん流行っているそうで、「カナダ巻き」なんていうのもあるそうだ。肉が入っているらしい。ロシア巻きってどんなの?って聞いたけど、ロシア人はうまく説明できなかった。
こんなに寿司が世界中で流行るなんて、誰が予想しただろう。
少なくとも、自分は、絶対に無理だと思っていた。
世界は不思議に満ちている。…と無理矢理、次の話に展開する。
私が今住んでいるところは、ロンドン市内のアパートであるが、主に日本人が借りることが多い物件である。
昨夜、ドライヤーで髪を乾かしていたところ、ドライヤーの先端の部分がとれて落ちてしまった。
そのまま、ソファの下に転がっていったので、床にはいつくばって、とろうとした。
すると…。
ソファの隣には小さな棚があって、自由にものを置くスペースとなっている。
こんな感じ。上段にメイク道具などをおいている。
で、ソファの下にもぐって初めて、この棚の下の段に、日本の本が何冊かあることを知った。
たぶん、この部屋に泊まった日本人たちが残して行った本である。
ドライヤーの先端を落とさなかったら、気づくこともなかっただろう。
不思議な出会いである。しかし、本当に不思議なのはこれからだ。
文庫本が5、6冊あり、東野圭吾、宮部みゆきに混じって、村上春樹の本があった。
「東京奇譚集」という短編集である。「短編集」なら、寝る前に読むのに良かろうと、この本を持ってベッドに入った。
ところ、この「東京奇譚集」とは、「ある不思議な偶然」に関する小説集だったのである。
冒頭、村上春樹氏が、ボストン滞在中、老舗のJAZZクラブで体験した不思議な偶然について書いている。
あるジャズメンのライブを聞きながら、「最後に、自分のお気に入りの2曲を演奏してくれたらいいんだけどなあ。でも、珍しい曲だから、演奏するはずはないだろうなあ」と夢想している。
と、本当に偶然にも、そのジャズメンがその2曲を演奏するのである。そのミュージシャンの曲でもないにもかかわらず。
そんな偶然滅多にない…。
が、しかし、この世にはそういう不思議なことがいくつか起こるものだ…と村上氏は語っている。(書いている)。
このような不思議な偶然には、人生を変えてしまう大きな偶然もあれば、特になにも変わりはしないけど、ちょっと記憶に残ることもある、と村上氏は続ける。
そして、彼が知り合いたちから聞いた「不思議な偶然」について、語っていくのだ。
おお、なんという偶然。
最初の物語は、ピアノの調律師の話で、ちょっと出来すぎのようにも思えたけど、それは、ひとの運命を変えてしまう偶然についてだった。
ざっくり書いておくと、この調律師は、ゲイであり、ゲイであることをカミングアウトしたことで、それまで仲の良かった姉と仲違いしてしまった。
そのまま、10数年が経過し、このゲイの調律師は、女性と知り合う。その知り合い方も、同じカフェで、同じ本を読んでいた(ディケンズの「荒涼館」)ことによる、「不思議な偶然」である。
ゲイであるから、女性と恋に落ちることはないのだが、この女性から突然、性的関係を持ってほしいと申し込まれる。およそ、そのようなことを言い出しそうになかった、上品で誠実そうな女性なのに。
彼は、自分がゲイであることを告白し、断る。
すると、女性は泣いてしまう。実は自分は乳がんにかかっていて、来週、手術をして乳房を切り取らないといけない。だから、無謀にも、よく知らない男性に、性的関係を申し入れたのだと言う。
調律師は彼女の告白を優しく受け止め、性的関係にはいたらずも、彼女の心を慰める。
そんな出来事のあと、ゲイの調律師は、なぜだが、疎遠になっていた姉に電話したくなり、電話する。なぜだか、本当にわからないままに。
すると…。
電話に出た姉は、「偶然」にも、泣いていた。
わけを尋ねると、翌日、乳がんの手術をすることになっているという。
10数年、一度も連絡をとらずにいたのに、「偶然」電話した翌日が手術の日だった。
このことをきっかけに、その調律師と姉は元通り、あるいはそれ以上に仲良くなるのである。
本当に偶然が結びつけて…。
…とこのようなストーリーなのだけど、村上春樹、さすがだなーと思うのは、この小説の内容というよりも、この本の発見のされ方である。(って、私の場合ですが)
だって、もし、私がドライヤーの先端を床に落とさなければ、そして、それがころがって、ソファの下に入らなければ、この本を発見することはなかっただろう。
(ドライヤーを使っていた場所とソファは少し離れている)
学生のころは、村上春樹の大ファンであったけど、近年はそれほど熱心な読者ではなくなっていた。
けれども、ロンドンにいても、こうして、偶然、彼の本を発見させてしまうのだ。
「超能力」と呼んでもいいのではないか。
もしかすると、世界中でこの本はこのような不思議な発見のされ方をしているのかもしれない。
世界中の日本人の泊まるアパートやシェアハウスに、こっそり置かれているのかもしれない。
決して、一目では発見できない場所で。
なぜなら、このアパートの廊下には、「地球の歩き方ロンドン編」や、何冊かの日本人作家の本が、置いてあるんだもの。
そんなところには決して現れないのだ。
村上春樹クラスになってくると、自分の本が置かれる場所まで、操作できるのかもしれない。
これこそ、「奇譚」でしょう。
あー自分などまだまだだなあ。私にもそのような超能力がほしいものである。
書店で、ひとが「なぜかわからないけど、手に取ってしまう」ような魔力を本に持たせたいものだ。
とはいえ、この偶然の出来事は、私にとって、人生を変えてしまう大きな出来事なのか、それとも、ちょっとした不思議な話で終わるのかは、もう少し生きてみないとわかりません。
でも、実は、自分はこのような「不思議な偶然」に割と会うほうです。
「虫の知らせ」のようなものをよく受け取ります。
一番、最初は、大好きだった祖父が亡くなった夜でした。当時7歳であったというのに、真夜中に急に目が覚めて、ベッドを出て、階下の居間に降りて行ったら、大人たちが集まっていて、「さっき、おじいちゃんが亡くなったのよ」と知らされた。
本当に偶然、目が覚めたのだ。これが、一番よく覚えている、「虫の知らせ」でした。
…というわけで、この話はこのへんで。
不思議なことってあるもんですねー。